本物こそ最高の味覚である事を信念として創業九十余年守り続けた味。
商 号 |
有限会社 鎌田屋商店
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代表者 |
鎌田レイ
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本 店 |
〒036-8642 青森県弘前市大字和徳町6
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電話番号 |
0172-33-8000
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創 業 |
大正8年6月
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設 立 |
昭和25年3月
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資本金 |
30,000千円
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事業内容 |
水産食品製造 乾物、びんかん詰卸、同小売
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1898 |
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明治31年 |
鎌田寛平(初代社長)士族の8人兄弟の7番目に生れる。
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1913 |
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明治46年 |
高等小学校卒業後、男子は実業界で身を立てよとの父の方針に従い、魚屋(相沢幸太郎商店)に丁稚奉公に入る。小さな身体には天秤棒の盤台は重かったという。兵隊検査(20才)後、独立する。
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1919 |
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大正8年 |
弘前市和徳町6(現本社の住所)に個人営業を開始。(海産物小売商)この頃の青森県の海は鰊、いかその他の魚類が豊富にとれ、身欠きにしん、干し数の子、スルメ、昆布などがいくらでも手に入った。寛平はこれらを原料とする水産二次加工品の製造を志し、手始めに鰊の粟漬を工夫して売り出したところ、好評を博し、店舗裏の弘前魚市場へも出品するようになった。
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1933 |
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昭和8年 |
隣地を買い増し作業場付店舗兼住宅を建てた。当時としては斬新瀟洒な店構えであった。弘前魚市場(和徳町所在)に卸売人の資格を取得し、海産物、主に塩乾魚の卸売と小売業を兼業した。この頃より鰊粟漬のほかに、昆布巻、醤油昆布なども手がけるようになり、当地方の水産加工の草分け的存在になった。
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1943~1945 |
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昭和18年~20年 |
第二次世界大戦により、統制経済に入り、企業合同で個人営業中断。水産物卸商業協同組合員に編入された。
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1946 |
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昭和21年 |
統制経済撤廃により魚市場も再開され従前の卸売業に復帰。小売店舗も復活した。この頃より成長した子供たちが家業に従事し父を扶けた。
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1950 |
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昭和25年 |
3月(有)鎌田屋食料品店となり法人組織に組替す。当初の資本金30万円。この頃、数の子、スルメ、昆布を主原料とする醤油漬の製造をはじめ、つがる漬とネーミングした。もともと津軽地方ではいろんな食材をかめに入れ、数の子やスルメ、昆布などを加えて、醤油などを注ぎかきまぜておき、二、三日して、即席のおかずとして食べる習慣があったがこれを商品化したものであった。つがる漬は人々の嗜好に合って販路も広まり、毎日の食卓のおかずにも、また酒の肴にもよく、贈答品としても喜ばれるようになった。
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1974 |
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昭和49年 |
現社屋を同地に建設。初代社長寛平が昭和43年に没後、次男照雄が代表取締役に就任。海産物卸売業も冷凍魚、塩蔵魚、冷凍食品にまで及び、専用の冷蔵庫、加工場数棟を設置するに至る。
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昭和 |
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50年代 |
つがる漬(登録商標)は昭和50年代より通信販売もするようになったが、お客がお客を紹介する形で遠方よりの注文が増えてゆき、自然発生的にその環が拡がったものである。
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1984 |
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昭和59年 |
商号を(有)鎌田屋商店と改称。現在資本金3、000万円、従業員85名。
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1987 |
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昭和62年 |
弘前商工会議所より創業68年の事業所として表彰を受けた。
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1990 |
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平成2年 |
11月、市内城東地区に地方卸売市場が開設され、従来の弘前魚市場は廃止された。これを機に、当社は市場での営業から撤退したが、弘前魚市場株式会社を買収し、市場の建物を駐車場として利用するなど便宜を得ている。
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1999~ |
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平成11年~ |
平成11年、照雄没後、妻レイが社長就任。平成13年現在では創業82年である。
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2003~ |
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平成16年~ |
8月、更なるサービスの向上を目指し、別館落成。10月、第11回「あおぎん賞」受賞。
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2004~ |
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平成16年~ |
11月、 「第四回弘前商工会議所街づくり大賞」受賞。
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